THINKING FOOTBALL
佐藤俊太郎のコラム
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第4回 ドイツワールドカップ最終予選、北朝鮮戦/リアルタイムの歓喜と失望
だしとしてはまずまずか。 いや、そうとも言えないかもしれない。 意見が分かれるところだろう。 しかし、ワールドカップ出場をかけた最終予選の初戦で3ポイントを獲得できたことは大きい。 もっとも、ホームでは確実に勝利することが必要不可欠であり、サポーターも勝って当然という見方をする。 予想外だったのは「格下」と言われていた北朝鮮に対して相当な苦戦を強いられたことだ。

確かに日本の試合内容は誰もが望んでいたようなものではなかった。 メディアの中には土壇場でようやく掴んだ勝利に批判の声も出ている。 ただそれ以前に、両国は素晴らしい戦いを見せてくれたと思う。 ピッチ上で繰り広げられる国同士の真剣勝負。 政治的な問題などを含んでいることもあり、実に見応えがあった。

北朝鮮ではサッカーは国技とされており、国民が最も興味を持つスポーツだ。 1966年のイングランドワールドカップではイタリアを破り、当時のアジア勢としては初のベスト8まで上り詰めた。 こういった過去の栄光から、自国を先進国とし、日本などは後進国という見方がされているという。 しかし、それ以降は低迷が続き、1994年アメリカワールドカップ予選でも日本や韓国に破れて敗退している。 その後、2006年ドイツワールドカップ予選まで「リーダー」の指示の下、国際舞台から完全に姿を消していた。 つまり、北朝鮮にとって今回は11年ぶりの予選参加となる。 前回に続き、奇しくも最終予選で再び日本と同じグループに入った。 今度こそ世界の晴れ舞台への参加資格を得るべく、必死で立ち向かって来ている。

ところが、北朝鮮の国民はこのことを全くしらない。 正確には、「知らされていない」のだ。 彼らは、国を代表して戦っている選手たちの姿をリアルタイムで見ることはできない。 なぜならば、「負け試合」を放送してしまっては大変な騒ぎになってしまうからだ。 自国が負けた試合のVTRをわざわざ放送することなどありえないという。 引き分けも同様だ。 たとえアウェーでの引き分けは勝ちに等しいと言われているにも関わらず。 要するに、勝利を収めた試合以外は放送が許されないのだ。 ネガティブな部分から目を背けるばかりでは、結果的にポジティブな面すら見失ってしまうと思うのだが...

スポーツは結果が全てである。 確かに、時にはそうかもしれない。 だが必ずしもそうでないという確信が私にはある。 無論、良い結果を求めなければ、その存在価値も極端に薄れてしまうことは間違いない。 しかし、結果以上のかけがえのないもの、数字やデータには表れないものが絶対にあるはずだ。 熱狂的なサポーターと呼ばれる人々はその瞬間を感じるために、スタジアムへ足を運ぶのだから。

2005.2.19 佐藤俊太郎

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