THINKING FOOTBALL
佐藤俊太郎のコラム
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第5回 イチローの真の凄さ/"天才"という言葉の逃げ道
才というものは存在しない。"天才"という言葉を使う人間が存在するのだけなのだ。 天才と呼ばれる人々は自分のことを天才であると認めないのではないだろうか。 むしろ、自分達のがそう呼ばれることに対して不快感すら覚えるかもしれない。

スポーツ界にも数多くの"天才"が見受けられる。シアトル・マリナーズのイチロー選手もその一人だ。 彼は幼い頃から父親とともにバッティングセンターに通い続け、バッティングの技術を磨いた。 その成果もあり、彼は高いレベルの実力を身に付けることに成功した。 その後プロの道へ進み、7年連続で首位打者の称号を手にするという偉業を達成した。

日本のプロ野球界に多大なる功績を残したイチローだったが、マスメディアは次第に彼の活躍に目を向けなくなった。 あまりにも凄すぎて、少々のパフォーマンスでは関心を示さなくなったのだ。 たとえそれが他の選手ならスポーツ紙の一面を飾り、テレビ等でも大々的に放送されるであろうものでも。 世間もその波に流され、イチローという一人の素晴らしいベースボールプレーヤーの魅力を感じなくなっていった。 「出来て当たり前」と思われることをしっかりこなすことがいかに大変か、理解されていなかった。

そういった出来事が原因かどうかは定かではないが、イチローは2001年に所属していたオリックス・ブルーウェーブ(当時) から野球の最高峰と言われるアメリカのメジャー・リーグの世界へと飛び込んでいった。 未知なる地で素晴らしい活躍を見せた彼は、昨年、84年もの間破られなかったメジャー・リーグの最多安打記録を塗り替え、 歴史に名を刻んでみせた。

日本中のほとんどの人がイチローという男の本当のポテンシャルを、失って初めて気づかされたのかも知れない。 ハイレベルな環境の中で結果を出し続けるのは決して容易いことではない。 彼が常に高いパフォーマンスを発揮するためにどんなことを考え、トレーニングを行なってきたか、想像すらつかない。 そんな彼の存在、そして努力してきた事実を「天才だから」という言葉で片付けてしまって良いのだろうか?

サッカーの世界でも同様に多くのスーパースターが誕生した。 中田英寿や中村俊輔、小野伸二など、例を挙げればきりがない。 彼ら全てに共通することは何か? それは他の選手より多くの充実したトレーニングを行い、絶え間ない努力を重ねてきたということに他ならない。

結論を言うならば、"天才"とは努力をしない、あるいは知らない人間が用いる言葉だと考える。 そのように呼ばれる側の人間が何かにおいて非常に優れている特別な人であることは確かだろう。 だがそれは。「天から与えられた才能」ではなく、自分自身で掴み取ったものであるはず。 「バカと天才は紙一重」とはよくいったものである。

2005.6.21 佐藤俊太郎

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