WORLD WORDS
WORLD WORDS/JAPAN
この言葉にしびれた!(日本編)
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三浦知良(元日本代表)
「魂込めました、足に」

のゴールを決めた 1992年、広島アジアカップ、イラン戦。 この試合でカズは後半終了間際に見事、決勝点を挙げてみせた。 彼の活躍により、日本はアジア初制覇を成し遂げたのだ。 後に、本のタイトルにもなった名言である。



ゲルト・エンゲルス(元横浜フリューゲルス監督)
「誰でもいい、助けてくれ!」

1998年、日本サッカー界に衝撃が走った。 Jリーグ開幕当初から存在したチームである横浜マリノスと横浜フリューゲルスの吸収合併が発表された。 「超法規的措置」と繰り返し説明する協会側に対し、サポーターが納得するはずもなく、抗議が殺到。 当時、フリューゲルスの監督を務めていたエンゲルス。 彼のスタジアムでマイクを通しての悲痛な叫びも虚しく、横浜フリューゲルスは消滅した。



山本昌邦
(元U-23日本代表監督)
「勝利とは、心構えが全てである」

1997年アトランタ五輪や2002年の日韓ワールドカップなど、様々な経験を積んでいる山本氏。 数え切れないほどの試合、そして選手を観てきた彼の信念が示されているこの言葉。

試合に挑む全ての者が勝利への貪欲さを求めることこそ、本当に重要な要素なのである。 「勝負は時の運」とも言うが、その運を呼び込むのも「気持ち」ではないだろうか。

(参考:TBS系「SUPER SOCCER PLUS」)



川淵三郎
(日本サッカー協会会長)
「僕の夢は日本中に芝生のグラウンドを作ること」

芝生の上なら転んでも痛くなく、硬い土よりも遥かに気持ちがいい。 そこでサッカーをしてほしいわけではく、子供たちに様々なスポーツを経験してほしいという願いが込められている。 子供のうちからこういった環境に触れることは非常に大切である。



川上直子
(女子日本代表)
「今日の勝利で女子サッカーは変わっていける」

2004年、4月24日。 アテネ五輪出場を決める重要な試合が国立競技場で行われた。 相手はこの日まで13年もの間、白星がなかった北朝鮮。 「負けたら全てがゼロになってしまう」と本人も語るように、そのプレッシャーは相当なものだったに違いない。 しかし、過去最多となる3万1324人の観客、いや、サポーターの大歓声に後押しされるようにして、彼女達はアテネ行きの切符を勝ち獲った。 それも、アジア最強と言われる北朝鮮からである。

普段は仕事をしながらチームの練習にも参加している彼女達は、本当にサッカーが大好きなのだと感じる。 おそらく、この気持ちは誰にも負けないのではないだろうか。 仕事としてではなく、純粋にサッカーをしたいという気持ちを持ってここまでやってきたのだ。

この歴史的勝利は、女子サッカー界の未来を明るく照らしてくれることは間違いないだろう。




山本昌邦
(元U-23日本代表監督)
「トラップは自分へのパスだ」

アテネ五輪出場記念、第3弾。 山本氏は実にバランスの取れた監督である。 「サッカーの基本はパスだ。全てはパスから始まる。 トラップは自分へのパスだ。 シュートはゴールへのパスだ」、という言葉は彼のものだからこそ実に説得力がある。 さらに付け加えるとすれば、ドリブルも自分へのパスだと言える。 つまりサッカーとはパスゲームなのだ。ボールをどのように繋いでゴールまで持っていくか。 そこに面白さが凝縮されているのである。



今野泰幸
(FC東京)
「警告には気をつけてプレーしている」

アテネ五輪出場記念、第2弾。 最終予選を通じて素晴らしい働きをした今野。 その活躍は山本監督からMVPに値すると言われたほど。 ポジション的にはあまり注目されることが少ないが、こうしてちゃんと評価されていることは嬉しいことだ。 さらに驚いたことに、彼は全試合フル出場ながら一枚も警告を受けていないのだ。 しかもボランチという守備的なポジションで。 この何気ないコメントの中に彼の特徴が現れているように見える。



岡田武史
(元日本代表監督)
「外れるのは市川、カズ、三浦カズ、それから北澤」

1998年フランスワールドカップ前の最終メンバー発表時の発言。 とても印象深い発言で、今でもはっきりと耳に残っている。 当時、高校生として鳴り物入りで代表に呼ばれた市川。 アジア最終予選で多大な貢献をした北澤。 そしてなんといっても、日本サッカーを支えてきたカズ。 彼がワールドカップのピッチに立つところを見たかった人は大勢いるはずだ。



三浦和良
(元日本代表)
「日本も世界なんですよ」

「世界」に近づくには?「世界」とどこが違うのか? そんな論議が繰り返される中、カズはこう語った。 海外でのプレーの経験が豊富な彼の言葉には、日本も負けてはいないという想いが込められているように思える。



ラモス瑠偉
(元ヴェルディ川崎)
「魂でサッカーを愛した男を覚えておいてほしい」

1999年8月23日の引退試合後のセレモニーにて。 地球の反対側からやって来た日本人は、常に勝利を目指して戦ってきた。 日本を愛し、何よりもサッカーを愛した男。 そんな選手がこの国にいたことを忘れずにいよう。



中山雅史
(ジュビロ磐田)
「うまくなりたい」

「ゴン」の愛称で親しまれる中山雅史。 彼がJリーグで初めてハットトリックを達成したのは30歳を過ぎてから。 ガッツあふれるプレーは、この気持ちから生まれるものなのだろう。 だからこそ人は彼に惹きつけられるのかも知れない。



川口能活
(元ポーツマス)
「神様は乗り越えられない課題は与えない」

ポーツマスFCのフロントの冷たい仕打ちに、川口は恐怖と孤独に怯えながら必死で踏ん張っていた。 チームの練習には行くものの、それが終わると即刻帰宅し、家の玄関の鍵を閉めた。 外食を止め、日本から送ってもらったレトルト食品で空腹をしのぎ、車のガソリンは隣町まで行って給油し、銀行のキャッシュコーナーには人気のない夜11時位置くに出向いた。 まるで犯罪者のような気分だったという。 電話では、時には深いため息をついて、またあるときはこらえきれなくなって嗚咽を漏らすこともあったが、それでも電話の最後には、自分を鼓舞する言葉を吐いたという。 「神様は乗り越えられない課題は与えないと言うじゃないですか。 今、この逆境の中から何かを掴めということなんだと思います。僕は必ず、這い上がって見せますから。」
(参考:週刊文春「ワールドカップへの道〜拡大版〜ポーツマス『苦悩の日』のすべて」 吉井妙子)



久保田光彦
(アナウンサー)
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1993年10月28日。 ワールドカップ最終予選でイラクをロスタイムまで2−1とリードしていた日本。 だが、コーナーキックからまさかの失点で同点にされ、そのまま試合終了。 この時、実況が30秒間ほど途絶えてしまった。しかし、この沈黙は全てを物語っていたように思える。 時に、沈黙は何よりも雄弁なのである。
(参考:「あの一言はすごかった!スポーツ編」 後藤忠弘)



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